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カ レ イ(マコガレイ)  
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うみかぜ公園で釣ったカレイ

写真はうみかぜ公園て釣ったカレイ(38p)
(COCOの釣行記より)
名前の由来

貝原益軒の著書「大和本草」には、「此魚背黒く腹白くして魚の半斤の如し、カタワレウオと云う意にて略してカレイと名づく。目は一処に二つあり近し」と書かれています。

つまり、背中が黒くて、腹が白いので、魚を二つに割いた半分のような魚なので、「カタワレウオ」を略してカレイというようになったそうです。

これに関連して、
「カレイはもともとは、両面とも黒かったのだが、身が二つに裂けてしまい、目のある方が、目無しのまま漂っている自分の片身を探して、泳ぎまわっている」という中国の伝説もあるそうです。

その他に、唐エイ、つまり唐(中国)のエイからカレイになったという説もありますが、昔から日本にいた魚なのに、何故唐のエイなのかという疑問が残ります。

クチボソという地方も・・・
いろいろな地方名があるようですが、富山ではカレイのことをクチボソとも言うそうです。
口が小さいところから付けられたようですが、川魚のクチボソと間違えてしまいますね。
「40センチのクチボソが釣れた!」なんて聞いたら、どんな怪物かと思ってしまいます。

鰈の漢字は・・・
蝶のように薄くてひらひらした魚なので、蝶の虫編を魚に変えて、鰈。
そういえば、釣り上げて海の中を引いてくる時は、蝶のようなヒラヒラした感じがありますね。
こんな句があります。

          釣り寄せし 鰈ひらひらと 春潮に    乙幡 水苔子

カレイの生態(マコガレイ)

カレイの変態
カレイの幼魚は、普通の魚と同じように体の左右に目があり、普通の魚(メバル、ウミタナゴなど)と同じように垂直に泳いでいるが、2〜3週間経って体長が4mm.位になると変態がはじまり、左目が移動を開始して、左右の目が頭のてっぺんに並び、それまで垂直だった体が左傾して扁平になって、海底に着定すする。
つまり、普通の魚の形から、、海底にペタンとへばりついて生活するのに都合の良い体形へと変態をとげたのです。

カレイの1年と釣り
10月頃から産卵準備のために、浅場へと接岸する。
この頃のカレイを登りカレイと言い、雌が釣れれば子持ちカレイであることが多い。
12月下旬頃産卵が始まる。
産卵するのは3歳以上、約20センチ以上のカレイである。
産卵の時期になると、良型のカレイは釣れなくなり、産卵に関係の無い20センチ以下のカレイが多く釣れるようになる。
2月中旬頃、産卵が終わると再び接岸する。
産後の栄養補給のため捕食が活発になり、大型のカレイが釣れるようになる。
産卵直後のカレイは痩せていて味も落ちるが、4月頃になると太って食べ頃になる。
この時期のカレイを戻りカレイ、または花見カレイと言う。
5月頃になって水温が上がってくると深場に行ってしまい、10月頃まではほとんど釣れなくなる。

カレイの成長
1歳 2歳 3歳 4歳 5歳 6歳 7歳 8歳
メス 14センチ 20センチ 25センチ 29センチ 33センチ 35センチ 38センチ 40センチ
オス 14 18 20 23 25 28 29 30

カレイの寿命はメスは11歳、オスは8歳くらいと言われている。
カレイ釣りでは、40センチオーバーの座布団カレイが憧れの的だが、これらは8年以上誰にも釣られずに生き延びて来た希少価値のある長寿カレイである。
なるほど・・・・簡単には釣れないわけですよね。
カレイの産卵
12月下旬から2月初旬頃の産卵期には、オスとメスが水深50メートル前後の砂泥に集まり、産卵と放精を繰り返す。
メスの体長20センチで15〜30万粒、30センチで70万粒を産卵しする。
   
左ヒラメに右カレイ
カレイとヒラメの見分け方として、良く言われている言葉だが、例外もあって、ヌマガレイは左側に目があるそうだ。
また、カレイという名前がついたヒラメもいるそうだ。
メガレイ、ナンヨウガレイ、ボウズガレイなどは、カレイという名前がついているが、その正体はヒラメだそうだ。
何とも、ややこしい話しですね。

将軍家に献上された城下カレイ
マコガレイのことを大分県日出では城下カレイとも呼んでいる。
これは、別府湾の湾奥にある日出町の海で釣れたマコガレイのことで、日出藩のお城の前の海で釣れるカレイに名前が付いた。
江戸時代の参勤交代の時には、このカレイを干して将軍家に献上したそうだ。
また、4年に一度の閏年には、活魚で献上したと言われている。
大分から江戸まで、どうやって活きたまま運んだのだろう。
海水に浸した厚紙に包んで箱に入れたものを、早馬で配送したそうだ。

現在日出町の城下カレイは関サバと並ぶ特産品となっているようです。

    海水に ま清水湧きて 魚育つ    高浜 虚子(城下公園内の句碑)

王余魚
中国ではカレイの事を王余魚と呼ぶそうだが、これは春秋時代(日本の縄文時代)の故事に由来する。
越の王「勾践」が、船上で魚料理を食べた時に、半身だけを食べて、残りの半身は海に捨てていた。(捨てた半身は骨付きの方だったらしい)
ところが、捨てた半身が元気に泳ぎ出した。
そこで、王様が余って捨てた魚ということで「王余魚」と名前が付いたそうだ。
半身なので、片方が黒くて、もう片方が白いんでしょうね。


<ここで、鰈の句を一首

大鰈 海星を載せて 釣られけり
    富岡 桐人
大鰈 期待したけど 大海星       川越の魚人

               (註:海星・・・・・ヒトデ)
                         
 
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